島根県浜田市の伝統芸能 石見神楽「後野神楽社中」TOP創作神楽「鏡山」

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BGM笛の音は1回演奏します。


             ご 挨 拶


 この度、神楽「鏡山」を創作するにあたり、ひと言ご挨拶申し上げます。
 わたしたちの古里浜田に埋もれる文化を神楽として残したい、広く紹介し、後世に伝えたい、そんな願いから、長年の構想の末、この創作神楽は生まれました。
 天下泰平の江戸時代、浜田藩江戸屋敷で起きた、俗にいう「鏡山事件」。女性ながら主人の仇を討った忠義が称えられ、後に浄瑠璃、歌舞伎で演じられて人々の評判と反響を呼び、親しまれてきました。
 事件の舞台となったのが江戸の浜田藩邸といわれていることから、伝承されている話を元に神楽を創作し演ずることにより、皆様を江戸時代へといざない、浜田が生んだ“烈女お初”“鏡山事件”について、より身近に感じていただければ幸甚でございます。
 私たち、後野神楽社中は古き多くの先輩よりご指導と伝授を得て、今日を迎えております。今後も郷土に誇る石見神楽を永く伝え、新たな気持ちで創作神楽「鏡山」に研鑽、努力する所存でございますので、よろしくお願い申し上げます。
        平成16年春
                   後野神楽社中代表 虫 谷 昭 則

 

●解  説 上へ
 世に云う「鏡山事件」は享保9年(1724)4月はじめ江戸の浜田藩邸でおこった。
 当時の浜田藩主第六代松平周防守康豊(やすとよ)は分家からの身で、ともすれば藩の内外において軽く見られがちにあり、せめて夫人は周防守家に近いところから迎えようという家老の考えで、第三代周防守康映(やすてる)の曾孫にあたる津和野藩主亀井茲政(これまさ)の娘を奥方に迎えた。
 この夫人が輿入れの時、御付の局に選ばれたのが、津和野藩の由緒正しい士族の娘、落合沢野であった。
 才色兼備の沢野であったが、60歳を過ぎた老女のこととて、気短で無理を言い張り、多くの若い奥女中はいずれも敬遠し困っていたため、取り締まりや指導もうまく行くまいというので、中老格として顔形、才能諸芸にすぐれた婦人を江戸で募り、選ばれたのが元大和国郡山藩士、岡本佐五右衛門の娘であった岡本道女である。
 その道女の女中として召し抱えられたのが、長府藩の足軽頭松田助八の娘、松田 察であった。察は体格がよく色浅黒く、力も強く武芸もできるという女丈夫であった。しかし心だてはやさしく主人道女によく仕え、道女も我が姉妹のように慈しんだ。
 道女は屋敷に来てから期待通りに良く働き、性質も良いことで夫人からも寵愛され、奥女中達からも慕われるようになった。しかし、この様子を見ていた沢野の心中は穏やかではなかった。寵愛を一身に集め人望もある道女が奥の秩序を乱しているととらえた沢野は、妬ましさを覚えると同時に、局である自らの役目として然るべき手を打たねばならないと考えるようになった。
 ある時、道女は藩主から急用で召された折、自分の草履が見当たらず、心せくまま何気なしにその辺に脱いであった草履を履いて御前に出た。それが沢野の草履であったために沢野からきつくとがめられ、あげくのはてに「浪人などすれば心まで卑しゅうなるものか」などと親や家名を引き合いに出してののしられ、はらわたをえぐるような辱めをうけた。
当時封建社会において最も重く見られていた家名を辱められるということは、死によって償う外はなく、道女は懐剣で無念の自害を遂げた。
 察は道女の自害を知って、激しい義憤に追われ直ちに主人の仇を討とうと決心し、「主人急病」と偽り老女沢野を呼び寄せ、「主人の仇」と道女が自害した懐剣で沢野を討った。
 これが世に伝えられる鏡山事件のあらましで、享保9年4月3日の出来事といわれている。
 その後刃傷を起した察は取調べを受けたが、女ながら主人の仇を討った忠節を称せられ、やがて中老格に昇進し、「松尾局」として人々に敬われた。27歳の時、松平家に仕える神尾主膳と結婚し、晩年は浜田の地に戻り、71歳の天寿を全うしたと伝えられる。
 天明2年(1782)劇作家容楊黛(ようようたい)が、この話を脚色して沢野を岩藤、道女を尾上、察をお初とし、これを加賀騒動に付会して『加賀見山(かがみやま)旧錦絵(こきょうのにしきえ)』という浄瑠璃を作り上演した。これが評判となり、翌天明3年、歌舞伎『鏡山旧錦絵』にうつされて演じられてきた。安政7年(1860)狂言作家河竹黙阿弥(もくあみ)により、続編『加賀見山(かがみやま)再岩藤(ごにちのいわふじ)』として、野ざらしにされた岩藤の白骨が寄り集まり怨霊となり、二代目尾上松尾局に仇をなす筋で書き下ろされ、歌舞伎で演じられて今日に至っている。
 明治43年『日本及日本人』5月号に、三田村(みたむら鳶魚(えんぎょ)が書いた「史実から観た歌舞伎芝居」が掲載されたが、この内容が『浜田町史』『浜田市誌』に史実として書き写されたと思われる。
 この神楽「鏡山」は、伝承されている話や歌舞伎を元に再構成し、新たに創作したものである。
 松田 察の墓は 浜田市大辻町宝福寺境内 浜田の松田察の墓ほか鏡山に関する浜田の史跡を画像で紹介します。 にある。かたわらに七代目尾上梅幸揮毫の『烈女お初の碑』が建っている。(烈女とは忠烈、つまり大変忠義であるということで、忠義とは良く主人に仕えたという意味である。)尚、察の墓は浜田のほか、 山口県長府妙真寺山口県長府妙真寺の松田察の墓を紹介しているサイトヘジャンプします。 神奈川県平塚市神奈川県平塚市の松田察の墓を紹介しているサイトヘジャンプします。 千葉県多古町妙興寺に存在している。
  千葉県多古町妙興寺の松田察の墓を紹介しているサイトヘジャンプします。 岡本道女の墓は鏡山来福寺にある。当時は鏡山を松山と称していたが、時の城主康福公(康豊公の子)が深く道女の憤死に同情し、後世淑女の鏡として名を「鏡山」と改められた。

 

●登場人物 上へ
お 初 おはつ(松田 察) 年齢24歳 長州豊浦郡長府城主、毛利甲斐守匡広公の江戸上屋敷に足軽頭として仕えている松田助八の娘。
浜田藩江戸屋敷の中老に尾上が採用された折、その女中として召し抱えられた。体格がよく力も強く、武芸のたしなみもあり、利発ではきはきした娘であったが、心だては優しく、主人のためによく尽くし信頼を得ていた。民謡浜田節などにも「烈女お初」としてうたわれ、その忠節ぶりが語り伝えられている。
尾 上 おのえ(岡本道女) 年齢21歳 もと大和郡山の藩士、岡本佐五右衛門の娘。
容姿端麗にして性格も良く、たいへん聡明で、和歌、琴、生け花、茶の湯などの諸芸にも優れていた。
浜田藩江戸屋敷にて中老に採用され、奥方様からの信頼も厚く、奥女中たちからも慕われる存在であった。
岩 藤 いわふじ(落合沢野) 年齢60歳 石州津和野の地に古くからある名家の出身で浜田藩主の奥方として津和野藩主の息女がお輿し入れの際同行し、老女の座に就いていた。
身分、教養共に申し分なく、多くの奥女中の監督もよく行われていたが、性格は気短で他人の長所を妬み、あまりにも人に対して厳しい面があったため、若い奥女中たちからは敬遠される存在であった。
諏 訪 す わ 老女岩藤局お付の女中。主人岩藤の命令により、岩藤と尾上の草履をすり替えるという謀に手を貸す。
鏡山事件を題材として書き下ろされた物語上の人物である。
岩藤怨霊 いわふじおんりょう「鏡山再岩藤」より、野ざらしにされた白骨が寄り集まり怨霊化した岩藤。
この神楽では、石見神楽の特質から、お初が岩藤怨霊を退治して終わる設定とした。原作では仇討事件より1年後の出来事である。

 

●舞すじ 上へ
〜女中諏訪が尾上の草履を持ち、主人岩藤の草履と尾上の草履をすり変えた場面から始まる〜
序の歌 「ころは享保 春の暮
          奥に咲きし 藤花を 妬みの風で 散らしてくれん
                     あな口惜しやな あな恨めしやな」
                    ・
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●参考文献 上へ
 烈女お察 岡山俊信/著。鏡山お初 中谷昌左/著。鏡山尾上とお察 写 加登田惠淨/著。舞伎 鏡山旧錦絵(歌舞伎名作選)写 戸板康二/著。鏡山お初(房総女性群像)写 杉谷徳藏/著。鏡山お初の四つの墓 山崎克彦/著。異説 鏡山事件 お初は烈女であったか 岩町 功/著。鏡山仇討は実録か創作か 藤村 直/著。山陰山陽 歴史人物の旅「義女お初」発行/中国電力広報室 松岡利夫/著。ふるさとを築いたひとびと ―浜田藩追悼の碑 人物伝― 山藤忠、佐々木徳三郎、桑原韶一、神山典之/著。浜田市制50周年記念 子供のための浜田人物物語 山崎克彦/著。 歴史読本スペシャル 1989年2月特別増刊 特集 御家騒動 発行人/菅原 英志 矢富厳夫/著。歴史と旅 臨時増刊号 藩史総覧(山陰の諸藩) 発行人/秋田貞美。

 

●制作にご協力頂いた方々 上へ
(衣裳)細川衣裳店様、(面)柿田勝郎面工房様、(小道具)植田蛇胴製作所様、(着付指導)チエ美容室様、(台本監修)郷土史研究家岩町功様、(題字)柿田勝郎様。
            
 

●台本初版発行日 上へ  平成15年12月7日

●台本発行者  島根県浜田市後野町「後野神楽社中」

 

  
 

●小道具 上へ

小道具の主役     

 尾上の草履(赤)と岩藤の草履(白)



色々探しましたが、やっと舞台に相応しい草履を手に入れることができました。





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 尾上(上)とお初(下)の扇子



仲睦まじく同じ柄を採用しました。柄は事件のあった春をイメージとした桜にしました。
    

 水晶の数珠



尾上の自害シーンで使用します。
  

 手  燭

お初の採物として使います。

初めは神楽的に幣も考えましたが時代背景及びお初の身形から相応しくないことになりました。藩主のもとへ出かけた尾上の帰りが遅いので、お初が迎えに行く設定で、宵の間であったことから手燭を採用しました。


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 懐  剣

尾上が自害した懐剣(白)です。お初はこの懐剣で岩藤を討ちました。
黒色は岩藤の懐剣です。
仇討ちの場面で、お初と岩藤の採物として使用します。



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 岩藤怨霊の傘

歌舞伎「加賀見山再岩藤」ではふわふわという宙乗りで岩藤が手にしているのが傘であることから採用しました。
    

 お初の薙刀

岩藤怨霊との戦いで使用するお初の手物です。

総長1.9メートル
    

 岩藤怨霊の白鞘

お初との戦いで使用する岩藤怨霊の手物です。

総長 2尺

●神楽面 上へ

中老尾上に仕えた、創作石見神楽「鏡 山」の主役     

 「お  初」


優しく美しい武家娘、武芸の達人、
凛々しさ、力強さ、優しさ、忠義心




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岩藤より屈辱を受け、自害した

 中老 
「尾  上」


美しい顔立ち、優しさ、気品、
どことなく寂しさ、忠義心
忠義



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「岩  藤」



意地悪さ、気の強さ、プライドが高い、貫録、




(石見神楽面初3枚重ね)

  

「諏  訪」



怪しさ、得たいが知れない


 

「岩藤怨霊」



般若系、白骨化




(石見神楽面初部分重ね)

「岩藤成仏面」



穏やかな老女、成仏

(岩藤が尾上を陥れたのは、単に個人的な嫉妬心からだけでなく、藩の秩序を維持し、奥を統轄する局という立場ゆえの策だったとも考えられる。この思いから、神仏の加護を受けたお初により討たれた怨霊岩藤は邪気怨念が祓われ、人間として本来あるべき姿に戻り、穏やかな老女の面差しとなって消える設定としました。)


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●衣 裳 上へ


「諏訪」の着物




制作発表当初は朱赤の着物でしたが、お初と役どころを対比させるため、青系の着物に一新しました。

「お初」の着物




力強さと意思を表す亀甲柄。若い女性の初々しさと可愛らしさを表現する小柄で、色は朱赤としました。

「岩藤」の着物



老女(局)の品格を表わすため、金糸を多用した金襴を用い、モスグリーンを基調にした落ち着きのある色合いにしました。

「尾上」の打掛



尾上をイメージする"藤の花"がモチーフ。年齢的には21歳と若い女性ですが、中老という役職にふさわしく落ち着いた色彩でまとめ、尾上の優しい人柄も表現してみました。

この柄の配色はこの度特別に織っていただきました。

「岩藤」の打掛



岩藤の年齢と役職のイメージから、品位と貫録を兼ね備えた紺地の金襴を使用しました。

「お初」の肩切り(一部)



若い女性をイメージする赤地をベースに、春の桜の花を散りばめ、浜田を表わす波をあしらいました。

「岩藤怨霊」の肩切り(一部)



岩藤のイメージから紫地をベースとして、蝙蝠をあしらいました。

●舞 姿 上へ


「お初」の姿



1.お初の出始めの姿

2.仇討ち時の姿

3.怨霊との合戦の姿

「尾上」の姿



1.出始めの姿

2.自害時の姿

「岩藤」の姿



1.出始めの姿

2.仇討ち時の姿

3.怨霊の姿
※制作段階でイメージした姿絵です。

●神楽歌 上へ

      はな
鏡山忠義の華ぞこれにあり

     烈女お初を人は知らずや

忠義を尽くした人物の中でも華というべきは、この事件で名高い烈女お初である、人はそれを知らないのか、いや、知らないはずはないという意。

彼のひとの面影偲ぶ藤の花

     ひ と
     
女人の鏡と代々に伝えん

その人(尾上のこと)の面影を思い起こさせる藤の花、その尾上は女性の鏡のような素晴らしい人だったと何代も後の世まで語り伝えようという意。

粟島と鏡の山は睦み合い

     幾千代までも互い慕わん


 
お初と尾上は共に仲睦まじく眠っているが、これからも永遠に、姉妹のようにお互いを慕いあっていくだろう。

藤の花長き短き世の中に

     散り行く今日ぞ思い知らるる

尾上辞世の句。藤の花には長いものもあれば短いものもある(長く咲き続けるものもあれば短くして散っていくものもある)けれども、思えば自分の人生は短いものであった。人生とははかないもの、それを今日思い知らされた。
※「鏡山」で使用する歌は尾上辞世の句をのぞき、すべて自作したものです。

●練習風景 上へ

●初公演を前に 上へ

2004年4月11日午後、社中員一同で、浜田市田町鏡山来福寺、岡本道女(尾上)の墓、浜田市大辻町宝福寺、松田察(お初)の墓にお参りしました。
虫谷代表が、神楽「鏡山」を創作するに至った経緯を墓前で報告し、公演の成功を祈念。御霊の冥福を祈ると共に、初上演に向け、それぞれ思いを新たにしました。
@浜田市田町鏡山来福寺、岡本道女(尾上)の墓
A浜田市大辻町宝福寺、松田察(お初)の墓

●制作経緯 上へ

 この「鏡山」は今から十数年前より構想を描いてまいりました。
 当時、石見神楽でも新作舞の取り組みが活発であった時期で、わが社中としても是非オリジナルの神楽を持ちたいということから考え出されたのが、郷土をテーマとした烈女お初の物語でした。
 浜田市立図書館より資料を提供いただき、種々研究してまいりましたが、時代背景が神代から一挙に江戸時代と新しいこと、実話として語り伝えられていること、登場人物がすべて女性であること等々から、神楽化することの難しさで取り組みが停滞する結果となりました。
 一昨年暮れ(H14.12)、再び新作舞の話しが浮上し、熱心な社中員2名から台本の草案が昨年(H15)7月に提案され、再び取り組むことで社中員全員の意見統一が図られました。
 その後4名のスタッフで制作委員会を発足し、題目を「鏡山」として正式に取り決め、20数回の会議を経て昨年11月に台本初版が完成いたしました。これには、郷土史研究家、岩町功氏のご指導を頂戴することができました。
 昨年12月に社中員全体会議で台本初版、予算について全員一致による承認を得て、衣裳等々手配に入るとともに、本年(H16)1月中旬より週2回の練習に取り組んでまいりました。
 発表時期を本年春期を目標としていましたところ、この度JR石見神楽同好会様より4月25日に開催される神楽大会の出演依頼を賜り、社中員一同感謝致しているところです。
 また、この創作神楽「鏡山」の制作にあたりまして、ご協力をいただきました方々に衷心より深くお礼申しあげます。

 追)今回「鏡山」に取り組みました理由の1つに、忘れられつつあります郷土が誇る「烈女お初」の物語を、郷土の伝統芸能である石見神楽を通じて、末長く語り継がれていくことにあり、これを深く懇願するものであります。

                  (平成16年4月10日 by発起人)

 

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